私のはてな

私のはてなをいっしょに解明してください

23歳になります

去年の今頃、一人の男性と色々あって離れなくてはいけなくなり、もう散々に泣いて地獄のような毎日を送ってた。なんで誕生日前にこんな仕打ちを…と思いながら。

22歳を迎えた当日、一人で東京大神宮に行きました。救われたくて。そしたらひいた恋みくじが大吉だった。そのお陰か二ヶ月後に、バイト先で店長をしていた今の恋人と出会い、好き同士になれて、付き合えた。そんな始まりだったこの一年。なんだかんだで私はついてるのかもしれない。


23歳は、執着心を捨てたいです。特に人に対しての執着心。これまでの出来事や過ごしてきた時間を無駄だとは全く思わないけど、自ら選んで不毛な時間を過ごすことはもうしません。


私すぐわかるんです。特に身近な人だとすぐに。行動パターンが少し変わったりとか、話し方とか、声のトーンとか、目の動きとか、いつもの返しと少し違ったりとかそういうので、「何か隠し事をしているな」とか「何か悪いことをしてるな、しようとしてるな」とか。わかるんです。そしてそれは必ず当たる。女の勘とかそんなものじゃなくて、もっと、確実なもの。だから親しい人には何一つ嘘をつかれたくないんです。もう他人のつく嘘やごまかしでいちいち悩んだり泣きたくないし、頭の中をそれでいっぱいにしたくない。

今年はきっと、すぐに手放します。友人でも、恋人でも。そんな一年になると思う。これは自分をもっと大切にするためです。



23歳も笑って生きたい。


そして今年こそはバイクの後ろに乗りたい。

大人のなり方

あと一週間と少しで、22歳から23歳になる。けど、もうこの時期にもなると私の友達はほとんどと言っていいほど既に23歳になっているし、なんなら私の誕生日から一ヶ月も経たないうちに24歳を迎える同い年の友達だっている。だから毎年、誕生日を迎える前からもう既に一歳年齢が上がったと勝手に錯覚している。今年も例外なくそう。気持ちは23歳です。

 

23歳ってきっともう大人だよね。でも中身は全然大人ではないし、生活もまだまだ全然だめ。身体だけ大人になって、あとはずっと中学生ぐらい。ううん、小学生かも。

人よりも一周も二周も遅れをとってる。みんなと同じスタート地点にすら立てない。遅れをとって、みんなと同じようなスタートをしても必ずどこかで体調を崩して、またちょっと遅れて、またスタートするとみんながもううんと遠い所へ行ってしまっている。そして立ち止まってしまう。


おしゃれな街を歩くのは大好きだし、ライブに行くのも、綺麗な景色を見るのも、いいお店で食事をするのも好き。でもやっぱり私は、公園でサッカーをしたり走り回ったりするのが一番好き。けどそんなこと、きっともうみんなはやらないんだろうな。

 

ちょっとしたことにすぐ傷付く。傷つくのは、期待が裏切られたとき。なんてことない期待。「絶対あの席に座りたい」と思っていたのに誰かに座られてしまった時、私に先に配ってくれると思ったら隣の人が先だった時、なんてことないし、完全にわがままでしょ。赤ちゃんみたいでしょ。一番最近傷ついたのは、おとといの朝実家での朝ご飯の時。お父さんと弟と恋人のお皿にはウインナーが2つあったのに、私は1つだった。別に2つ食べたかったわけじゃないけど、なんか悲しかった。お母さんのお皿にも1つしかなかったけど、それでも傷ついた。

 

今までたくさんの「大人」に、「自分のこと大人だと思いますか?」って訊いてきたけど、ほとんどが「思わない」って答えた。でも私からすると、しっかり「大人」をやってると思うけど、本人がそう思っていないと言うならそうなんだろうな。それなら、私だって周りからは「大人」だと思われてるのかな。プレッシャーだな。全然違うのにな。

 

「大人」ってなんなんだろうね。いつ「大人」になったの?どうすればなれますか。

生きる

大学を辞めることにした。

一昨年、約三年間働いた大好きだった仕事を辞めて、仕事をしながら始めた通信制の大学へスクーリングという形で通学することにし、上京してきた。

そして今日まで、バイトをしながら学校に通った。けど本当は、いま私がすべきこと、やりたいことはもう勉強ではないってことに薄々気付いてた。


でも学校を辞めることを報告すると皆こぞって、「辞めてどうするの?」、「どの企業に就職するの?」、「大学は出といた方が良いよ」、「逃げるんだ」、「諦めるの?」の声。


うるせえ。


私の人生なんだから好きに生かせてくれよと思う。私は逃げてない。何も諦めてない。

私が学校を辞めて好きなことに立ち向かおうとすることの何が甘えなのか。努力をするのも苦労するのも失敗するのも成功するのも全部私なんだからあなたに関係ないじゃないか。むしろやりたかったことを諦めて何の興味もない仕事になんとなく就くことの方が逃げてるんじゃないのか。


本当は働くことが怖い。人前に出ることが怖い。他人の目が怖いし、怒られたくないし、私にできっこないって思うし、何をしてもダメダメな人間だと思う。そんな卑屈な性格になってしまったことの根底には少なくとも、多感な時期に受けたいじめに原因があると思う。

他人のせいにするなって思うよね、思うんだろうね、平穏な学校生活を送って、普通に卒業して、何の興味もない企業を何となく選んで普通に就職して、普通というレールをまっすぐまっすぐ歩んできた人にはわかんないだろうね。ええ、こんなこと思うぐらいには性格歪んでますよ。

でも、もう逃げたくないなと思っちゃったんです。もっと変わりたいなと思っちゃったんです。


私は今日まで過ごしてきた日々を何も無駄だと思いたくない。回り道だとも思ってない。これが私の道で、私の生き方だと思うし。どんなことをやっても、きっとどこかに繋がってると思いたい。


無敵だよ。希望はあるし、むしろ希望しかないよ。未来はきっともっと楽しいよ。楽しく生きるためには苦労がつきものだけど、それでも私は楽しく生きるよ。

社会が甘くないのはわかってるし、甘さを求めようとも思わない。でも楽しさは別に求めたって良いよね。楽しく生きたいだけなんだよ。


私は私の生き方をするから、どうか口出ししないで。もしも失敗したとき、誰のせいにもしたくないから、どうか何も言わないでただ見守って。


いつだって、自分が一番良いと思う道を選んで生きていけたら良いですよね。

君はいと“お菓子”

半年前からおかしやさんでアルバイトをしています。関東圏の人ならきっと知ってる、駅前とかショッピングモールにあるあのおかしやさん。

 

おかしやさんでアルバイトしようと思ったのは、「可愛いから」。

どこでバイトしてるの?ってきかれた時、「おかしやさん!」って言えたらなんか可愛いじゃないですか。

 

あと、おかしやさんに来る人はみんなきっといい人だと思ったから。

買いに来るのは結局「お菓子」だから、そうそう態度の悪い人も来ないだろうし、きっと幸せな人とか、幸せになりたい人がいっぱい来るんだろうなと思ったから。(だからケーキ屋さんでも働きたいんです私!)

 

案の定そうでした。みんなお菓子選んでる時は子どもも大人も関係ないんですよね。ブツブツ言いながらお菓子を選んだり、どっちの味がいいかをずっと決めきれなかったり、一度手に取ったものをまた棚に戻して、会計前にやっぱりまたそれを取りに戻ったり。なんか楽しそうなんです。

そんな風景を眺めることもできるレジ業務は大好きです。

強面な人も無邪気な子どもも関係ない、チョコレートやおまけ付きのお菓子を買って行くんです。そしてそれをお家で食べたり、待ちきれずに歩きながらとかバスの中で食べちゃったりするんです。

 

私はなるべく、明るく元気に接客するように決めてるんです、たとえちょっと不機嫌そうな人にも。

 

悲しい気持ちになって、元気を出したいから、とお菓子を買いに来る人もきっといるでしょ。その時お会計をしてくれた人が明るくニコニコ笑って元気だったら、ちょっとだけ明るい気持ちになれませんか?私はなるんです。ああいい人だな、いい気分だな、って思うんです。自分がされて嬉しいことを、他の人にも同じようにしたいんです。

 

けどいるんですよね、レジの台にお菓子をポイって投げて置いたり、支払いの時にお金を投げたり。でもいいんです、それでも私はニコニコし続けます。だってそれがその人の癖かもしれないし、もしかしたらそんなことをしちゃうぐらい何か嫌なことがあったのかもしれないし。だからいいんです。「何があったのかわからないけど、そういうことをしてしまうぐらいの何かがあったのだとしたら、お菓子食べて、好きに過ごして、元気出してね」って思いながらニコニコとレジ打っちゃうぐらい、私は割といい子なんです。

 

でも理不尽な人もいます。本当に稀だけど。それでニコニコ顔にもちょっとだけ限界が来るんです。レジ袋に商品を入れてる途中に「レジ袋いらないです」って言われたり、レジを打ち終わってお釣りを渡そうとしたら、「10円あった」って言いながら後出しされて打ち直したり、「このゴミ捨てといて」なんて言ってくる人がいたり、「これ買うのやめるから戻しといて」なんて言われたり、そんな些細なことでちょっとずつ私の元気が吸い取られていくんです。ちょっとずつ不機嫌になっちゃうんです。ちょっとずつ不満が溜まっていくんです。でもそのどんよりした気分は、次にレジへ来るお客さんには関係ないことだから、またニコニコするんです。

 

こうやってどんどんどんどん私の「いい子」がすり減っていく。

 

頑張らなくていい、楽しめればいい。ちょっとした暇つぶしと趣味、だと思って始めたアルバイトで、私の心が無駄に削られていくんです。楽しいはずのアルバイトが、なんか最近辛いんです。

今日も夕方からアルバイト。どんなに嫌なことがあった日でも、どんなに悲しいことがあった日でも笑うんです。その時会った人は、その時の私しか知らないから。あの日アルバイト先の本社に、私の明るさに元気をもらえたとメールをくれた人がいるように、多分きっと他にもそんな人がいてくれると思うから、今日も明るく元気に頑張ります。

 

 

 

 

 

 

なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんて

 

言うわけないだろバーーーカ

 

 

今日から感情殺して最高以外のお客さんには無で接客してやる。

 

 

 

 

 

 

って一瞬は思うくせに心のどっかでは、お菓子食べてる時にでもいいから、レジのお姉さん楽しそうな人だったなって思い出してほしかったりするんです。だからやっぱり、ちゃんとニコニコ笑ったりしちゃうんです

愛とお金

"いかに自分にお金を使ってもらえるか"  が、"いかに自分が愛されているか" の目安になっている。

わかりやすい愛を両親からもらったことがなく、言葉で「愛してるよ」っていくら言われても、あんまり信じることができない。

ブランドものとか高いものが欲しいんじゃなくて、安いものでいい。ガチャガチャでもいい。アイスでもいい。スッとレジに持って行って会計してくれたり、これ買ってあげるよって買ってくれたり、サプライズでプレゼントされたりすると、ああ愛されているなと思う。

 

わかりやすい愛の象徴が、お金で買った "モノ" 。

 

悲しくて歪んだ考え方だけど、弟が許されていたことを "長女だから" と私だけ許されなかった結果がこれだと思ってる。両親を責めるわけではなくて、こう育つことしかできなかった私のせい。

 

私だけ許されたかったし、もっとわがままを言いたかったし、甘えたかったし、何よりもっとたくさん言葉が欲しかっただけなのになあ

 

許されず、言葉ももらえず、未だに「愛」を信じることができない結果が、愛=お金という歪んだ考え。


正直しんどいし、情けないです

トゥルーエンド

もう会えなくなって150日ぐらい経ったんだよ。寝て起きるのを150回ぐらい繰り返したんだよ。でも150の内の149は会いたいって思ってるの。もう会えないし、会うこともないんだろうけど、会いたいって思ってるの。何のために会うわけでもなくて、ただ顔を見たいと思うの。

 

私はこの前、これまでにないぐらい “怖い女” になった。でもこうでもしないときっとあなたはあのサイトから完全に消えることはなかったでしょ。本当に終わらせるのって、多分こうするしかなかったんだよ。あなたと彼女がナアナアなままでいること何となくわかってたから、余計なお世話だっただろうけど。

けどこれで私のことを悪い思い出にできたでしょ。もう二度と会いたくないって思えたでしょ。連絡も取りたくないって思えたでしょ。

でももしも、何年後でも十何年後でも数十年後でも、いつかもしどこかで会えたらその時は、多少ぎこちなくとも、元気?と言い合えればいいと思うし、何かの間違いで私にメッセージでも送ってきてくんないかなって思う。生存確認的な意味で。彼女さんには悪いが、今後もしあなたから(来ないとは思うけど)連絡が来ることがあっても私は彼女さんにチクったりなんぞ絶対にせん、絶対に。

 

  

東京って狭いくせに広い。こんなに狭くて人だって多いのに、全然ばったり会わないんだもんね。人混みに紛れてるんだろうけど、全くわかんないんだもん。ウォーリーをさがせ! よりも、ミッケ! よりも難しい。あーもー!ってなる。

でも知ってるんだよ、会うべき人とは会うべくして会うんだよね。会えないってことは、そういうことなんだよね。

 

何で終わりってくるんだろ。始まったら終わるって本当に残酷。ずっと続いてて欲しいのにさ。

 

 

私はねえ、あなたが大好きだったし、

私は東京が好きで、何でもあって、会いたい人もいる東京が大好きで、絶対にこれからも東京に住み続けたい!って思ってたけど、あなたが東京を出て田舎で暮らしたいって言うんだったら喜んでついて行くし、どこまでも行って、いつまでもあなたを支え続ける!って思うぐらい、それほど好きだったから、今だって大好きだから(大切って意味で)、一番幸せになってもらいたい。

私よりもはるかに幸せになれば良いって願ってる。強がりでも何でもなくて、間違いなくそう思ってる。この世で一番、私があなたの幸せを願ってる。

あなたが選んだ人とあなたが、絶対一生幸せでいられる呪いをかけ続けてあげよう。死ぬまで呪い続けるよ。私がしつこいこと知ってるでしょ。

 

 

また今年も冬が来るよ。薄着の冬が来るよ。荷物と着てるものに動きを制限されたくないからって、身軽で薄着の冬が来るよ。でも私、今年はちゃんと厚着した冬にする。

  

秋だからちょっとセンチメンタル。明日にはこの気持ちがなくなっていますように



こんなことをツラツラ書いちゃうところもきっと怖いんだろうけど、あなたが言ってくれた みやちゃんは可愛いよ の “可愛い” で許して!


トゥルーエンド!

恋人ができたんだ

いつだってそう、誰か特定の男の人と「ずっと一緒」なんていうのは、空想妄想虚妄だと思って生きてきた。

 

18の頃に知り合って、20の時に付き合い始めた。「付き合う=オフィシャルなセフレ」としか思えなかったけど、自由に振る舞えてわがままも聞いてくれるし色んなことを教えてくれるし楽しいからいいやって付き合ってた。

 

一緒に西友でご飯買って、TSUTAYA寄って、コンビニでアイス買って帰った。借りてきた映画観ながら、カラーボックスの上に、お菓子のおまけでダブった小さなフィギュアを並べて笑った。二人でゲームした。いっぱいゾンビ倒したよね。

冬に悪いこともした。知らないおじさんとセックスしてお金もらったりもした。安く買われて泣いた私を抱っこしてくれた。けど違ったんだよ、本当は「そんなことしないで」って怒って欲しかったんだよ。

途中、他に大好きな人ができた。うまくいかなかったけど。

でも全部許してくれた。私、そんな恋人のことやっぱり好きじゃなかった。

私のこと、たくさん「可愛い、本当に可愛い」って言ってくれた。「好きだよ」って言ってくれた。でも守ってもらえなかった。大事にされたかった。悪いことしたら怒ってほしかった。言ったのにそうしてくれなかった

 

全部なんとかしなきゃいけなくて、環境も、関係も変えなきゃいけないと思って、「芽が出るまでに何か変わっていますように」と願いを込めてアボカドの種を育て始めた。

今は40センチぐらいまで成長した。私を取り巻く環境はアボカドの背丈よりも大きく変わった。ずるずると引きずった大好きだった人との関係も変わった。アルバイトを始めた。恋人に「元」がついた。ちゃんと大切にしたい好きな人ができた。その人と付き合った。

私初めて「好きな人」と付き合った。毎日ドキドキしてる。付き合うってこんなに幸せで楽しいんだね。

 

元恋人のこと、利用してたのかもしれない。友達のいない東京に一人で引っ越してきて、頼れるのは元恋人だけだったから。

でも楽しかった。元恋人が住む荻窪が大好きになった。いい街だってことを知れた。色んな音楽を教えてもらった。レコード屋さんなんて今まで行ったことなかった。煙草を吸う横顔にはいつも見惚れてた。私の口の悪さも、誰かへの最低な愚痴も、性格の悪さも、誰かに見せたのは初めてだった。

本当は花火大会にも行きたかった、一緒に手持ち花火もしたかった、ライブだって行きたかった、喫茶店もいいけどカフェにも行きたかった、レコード屋さんも楽しいけどタワレコにも行きたかった、人が少ないところも楽だけど、人混みも好きだった。

 

好きじゃないけど愛してた。名前を呼ばれるのが嬉しかった。いつの間にか家族みたいに思ってた。「いずれ結婚して家族になるんだからそれでいいじゃん」って言ってたけど、「結婚してから家族になりたかった」んです。この違い、私にとっては大きいんだよ。

いつか「逃した獲物はおおきかった」なんて思うことがあるのかな。ないかもな。もしかしたら一瞬思っちゃうことがあるのかな。

 

私、今の恋人のことずっとずっと大好きでいたい。アルバイト始めてから全部が変わった。これでよかった。

 

たくさんの時間と思い出を積み重ねてしまったけど、大切なのは「これまで」よりも「これから」だから、これでいいんだ。今の恋人とのこれからが、空想妄想虚妄じゃありませんように。

 

 

私と付き合ってて幸せだったかしら。少しは 夢 叶えてあげられたかしら。いつかこれまでの日々の思い出もお互いに薄れゆく時が来るのかしら。自販機でレモンスカッシュじゃなくて別の缶ジュースが出てきて二人で大笑いしたあの夜も、忘れちゃうのかしら。

 

 

元恋人のこと愛してた。

早く鍵返さなきゃ。