"いかに自分にお金を使ってもらえるか" が、"いかに自分が愛されているか" の目安になっている。
わかりやすい愛を両親からもらったことがなく、言葉で「愛してるよ」っていくら言われても、あんまり信じることができない。
ブランドものとか高いものが欲しいんじゃなくて、安いものでいい。ガチャガチャでもいい。アイスでもいい。スッとレジに持って行って会計してくれたり、これ買ってあげるよって買ってくれたり、サプライズでプレゼントされたりすると、ああ愛されているなと思う。
わかりやすい愛の象徴が、お金で買った "モノ" 。
悲しくて歪んだ考え方だけど、弟が許されていたことを "長女だから" と私だけ許されなかった結果がこれだと思ってる。両親を責めるわけではなくて、こう育つことしかできなかった私のせい。
私だけ許されたかったし、もっとわがままを言いたかったし、甘えたかったし、何よりもっとたくさん言葉が欲しかっただけなのになあ
許されず、言葉ももらえず、未だに「愛」を信じることができない結果が、愛=お金という歪んだ考え。
正直しんどいし、情けないです