私のはてな

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遺書といっしょ

バイトが休みの今日。部屋を片付けて、荷物を受け取って、買い物に行って、お昼ご飯を作って、食べて、映画を観て。

映画を観終わった頃には夕方だった。近くの公園に桜でも見に行こうと思って、お気に入りの変なTシャツに、すっぴんで、イヤホンして、Oasisを聴きながらお散歩。

 

近所に公園があっても、なかなか行かないもんですね。近くにあるからいつでも行ける、なんて嘘っぱち。近くにあるからこそ行かない、そんなもん。東京に住んでるからいつでも行けると思っている東京タワーもスカイツリーも、滅多に行かない。

初めて奥まで足を踏み込んだ大きな公園は、一時間経ってもまだ敷地内の半分も歩いてなかった。桜がたくさん咲いていて、夜桜を見ながらお花見をしている人もたくさんで、公園周辺の家々には明かりが灯っていて、開いた窓からテレビの音が聞こえて、夜ご飯の匂いがして、そんな幸せで、私の目も耳も鼻も全てが満たされた気がした時、「いま別に死んでも構わないな」と思った。

 

生活に不満があるわけじゃない。バイトもうまくいっているし、周りの人には恵まれていると思うし、今は肌がとても綺麗で、髪の毛も染め直したばかりだし、美味しいご飯を食べて、好きな人から好いてもらえて、特別不幸なわけではない。(ただ、そんなことを考えている時猛烈にトイレに行きたかったから、それを除いては。)

そして何よりも23歳という若さが永遠になるなんて、素晴らしいことなのでは?、なんて考えてしまった。

だから今書いているこれは、ちょっとした遺書です。人間いつ死ぬかわからないしね。明日うっかり車にひかれるかもしれないし、バイト先の急な階段から転げ落ちて死ぬかもしれないし、洗濯物を干しているときにベランダから何かの拍子で落ちてしまうかもしれないし、後ろから刺されるかもしれない。

しかし“遺書”ってどうやって書くものなんですかね。うーん。

ただ一つ、やっぱり私は東京が好きだから、東京に出て来られて本当に良かったなと思いました。東京に住んで、東京で暮らして、東京で死にたい。なんでこんなに東京に固執するのかは自分でもよくわからないけど、私の居場所は東京だなと思います。

春はずっと嫌いでした。桜は綺麗だけど、散っちゃうのが悲しかったし。別ればかりに焦点を当てすぎていたのかもしれない。春は出会いの季節でもあることに最近やっと気づきました。別れてもきっとまた新しく出会えるから、春も大丈夫だと、そんなことに気づくのに何年もかかってしまった。春もいいね。花粉がひどいけどね。

旅行に行きたい。日帰りでも可。遠くに行きたいです。好きな人が運転する横で、茶々を入れたり、流れる曲を口ずさんで、窓から手を出してみたりしながら。どこでも良いから遠くに出かけたい。もし明日死ぬんだったら、もう行けないんだな。

お葬式はしてほしくないな。そして泣いてほしくない。本当にバカだなって笑ってください。今これを書いているMacBookAirは真っ二つに折って捨ててください。iPhoneはハンマーで叩き壊してください。スケジュール帳は燃やしてください。どれも中身見ないでね。洋服も全部処分して良いし、漫画は魚喃キリコのやつだけ棺桶に入れてください。そして生花じゃなくて綺麗なドライフラワーも入れてください。あとは何だろうな〜こんなもんかな。前に好きだった人からメールが来てたけど、そういえば返信してなかったから適当に返しといてください。私もう返すつもりないので。

 

いつでもできる、いつでも行ける、なんてそんなことないです。“死”はすぐ隣にあるから、もっと欲望を大切にしたい。私の活力や原動力は「明日死ぬかもしれない」という焦りなんだと思います。だから少し怖くても、何にでも足を踏み込める。

 

なんか、こんなもんですかね。ヒッチャカメッチャカでよくわかんないけど、こんな感じです。けど、書いてたら死にたい気持ちなんかなくなっちゃったわ。

 

さーて、ネットでお洋服でも買っちゃおっと