私は“ド”のつく田舎で生まれ育ちました。自然がたっぷり。家の周りに街灯は一つもない。近所の家は4軒ほど。“近所の友達”なんてものはいない。夜になると真っ暗闇と静寂が訪れる。そんなところで20年間、物心ついた頃から孤独を抱えて生きてきた。
部屋のベランダに出ても、目の前に広がるのは広大な畑。この世に私一人しか生きていないような気分にさせられる。そんなことは絶対にないんだけど、やっぱり私はそれでも孤独でたまらなかった。
東京にとても憧れていた。東京に行けば、自分の望む物、場所、人、全てが存在する。賑やかで、それでもどこか人と人の間には心地良い距離があって、他人に干渉しすぎず、いつも人や車が行き交い、寂しくない、私の憧れの街。中学生の頃からしょっちゅう東京に来ていて、私の生きたい場所はここしかないと思っていた。
「練馬区か〜。良いところだけどほぼ埼玉じゃん笑。」
『ほぼ埼玉』。
言わんとすることはわかる。けれど、大ショックだった。それでも東京に住んでいることに変わりはないんだけど、ショックでショックでショックでたまらなかった。東京に住んでいる人からすれば、練馬はもはや埼玉になるのか。私は東京に住みたくて東京へ出てきたのに、他人は練馬を『ほぼ埼玉』だと言うのか。もっと“東京”に住みたい。
でもあの区は嫌だ、治安が悪いし。
あの区も嫌だ、そこだって『ほぼ埼玉』と言われているし。
その区は絶対に嫌、前に大好きだった人の彼女が住んでたところだもん。やっと忘れてきたのに、私はまた地獄を心の隅に思いながら生活するの?
この区も嫌、だって、寂しいもん。
『部屋のベランダはこんな形が良くて、床の色はこれがいいな、一階はちょっと嫌だな、景色の良い部屋に住みたい、賑やかな方が良いな。ベランダに出ればたくさんの灯りが見えて、一人じゃないんだと思える場所が良いな。もう孤独を感じない場所に住みたいな。』
憧れと望みを叶えたいだけなのに、私が言うと全部全部全部ただの我儘になってしまう。
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ここまで書いてた。最終編集日は4月23日。
今月末に引っ越す先は、最後に書いた、部屋、場所、眺望、全ての望みが叶えられた場所です。ね、叶うよ。願っていれば。思っていれば。アンテナを高くしていれば。
けど、今住んでいる石神井、二年住んでやっとわかったの、とても良い場所だったことに。どこに行くにも便利な場所だし、石神井公園は広くて綺麗でお散歩にぴったり。良い場所に住んでいたんだな。近すぎると気付かないのかな。見えないのかな。
とても良い街だったのに、そんな街で私、泣いてばっかりだったな。
私これから、賑やかな都会の街中で、たくさんの灯りを見下ろせる部屋に住みます。もう、寂しくありませんように。